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ゼロから進む英語学習の最短ルート! 誰にでも必ずできる徹底的暗記排除法

暗記を徹底的に排除した英語学習サイトとして、みなさんの英語力を飛躍的に高めることを目的としています

当サイトの活用法

当サイトを読んでいただき、ありがとうございます。

運営者の細川と申します。

読んでいただく際の注意点が一つだけあります。

「英語学習サイト」としてみなさんの英語力を飛躍的に高めることを目的として編集していきます。

 

   

   

初めて読む方は「書き上がっていく一冊の参考書」として、「学習法編」カテゴリーを順に読み進めていただきたいのです。

日記ブログを読むように拾い読みだけをしてしまっては効果がかなり薄いと思います

 

また、表示されている公開日時は都合により正確ではありません。

時事性がない「一冊の参考書」ですので、1記事ごとの日時は関係ありません。

つまり、「英語を最短ルートで身に付けたい」と思ったときがスタート地点ですね。

 

 

 

 「役に立つ寄り道」も本編カテゴリーからの派生知識カテゴリーなのでぜひ「読んでいただく順」に合わせて読んでいただきたく、

 

 

 「講義編」では「学習法編」が終わったあとに実践的な授業を進めていきます。

 

 

 「日記」

教育論・社会論・ジェンダー論や雑事などもたまには盛り込むかもしれませんが、このカテゴリーだけは読み飛ばしていただいても英語学習には何の支障もありませんので、もし興味を持っていただければ幸いという内容です。

 

…このように4つのカテゴリーで構成されています。

読んでいただきたい順に①から通し番号を付けてありますので、その順にお読みください!m(__)m

 

 ↓以下が私の著書です。こちらもよろしくお願い致します!


暗記を徹底排除!これが英語学習の最短ルートだ!暗記を最小限にし、できる限り苦労を減らす提案です。20分で読めるシリーズ

①【学習法編-1.準備編・第1回】いつまでも英語ができない? たった1つの理由・たった1つの解決法

はじめまして。
このサイトを覗いていただいたということは、英語の学習法に悩み、苦手にしている方が多いでしょう。では、小中学生からずっと習っているはずなのにどうして苦手なままなのでしょうか? その原因を挙げ、解決法(学習法)を紹介していき、具体的に英語を指導していきます。そしてそれがこのサイトのメインテーマです。
まずは「準備編」というカテゴリーで最短ルートをたどる学習法を誰にでも理解できるように紹介していきます。今回がその準備編の第1回目です。

   

「英語=暗記もの」だと思っている

ここに最大の問題があります。たしかに数学などに比べると必要な暗記量は多いのですがいわゆる「暗記もの」では決してありません

暗記=土台であり、一軒の家を建てるための基礎工事です。その基礎工事だけをずっと続けていてはいつまでも家は完成しないのです。

この点で多くの大学受験生やTOEIC受験生などが英語を苦手になり、「暗記ものだから英語ができない」と決めつけるのです。暗記という努力をしているのに結果が出ない、またはその暗記すら避けて諦めるからです。

このように「英語ができない」・「覚えることがたくさんで苦手」と思っている方のためにこのサイトでは暗記を徹底的に排除した英語学習法を紹介していきます。

 

学校の授業ではダメ?

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残念ながら教えられるときのほとんど・予備校の授業でさえもこの「暗記もの」としての英語が教えられています。「はい、これ覚えてね」と理由なしで押し付けられているうちに暗記量が増えていき、その暗記が当てはまらない問題に出会い…どんどん英語ができなくなっていくのです。ここを読んでいる方には心当たりがあるのではないでしょうか? この「暗記」主義とこのサイトで伝えていく「論理的思考」主義の英語は対極にあります

今まで染み付いてしまった主義を変えるのはなかなか難しいかもしれません。しかし、その染み付いてしまった主義で得られたものはあるでしょうか? おそらく「英語ができない」という結果だけでしょう。

ならば捨てることをためらうのはおかしいですよね? ここで根本の発想から変えてしまいましょう。多少の勇気が必要ですが、代わりに暗記主義と違い必ず英語ができるようになります。

 

論理的思考に解決法と英語の本質が詰まっている

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暗記と論理的思考は対極にある
といいました。ということは暗記を徹底的に排除して論理的思考で取り組むことが英語学習法の本質だといえます。では本質に迫るということはどういうことか? 簡単にいえばまず「どんな英語でもできるようになるということ」です。

「大学受験英語」・「TOEIC英語」・「ビジネス英語」というような言葉がありますが、苦手な方ほどまずそのような区分は忘れ、本質に迫ることに専念すべきです。本質から見れば英語にこのような区分はありません。どのような英語でも英語は一つだけです。

どの分野でも本質ほど霧に隠れて見えにくいものです。その霧を晴らして本質に迫る英語学習の最短ルートを惜しみなく公開していきます

 


何を書けばいいかわからない人のための 小論文のオキテ55

②【学習法編-1.準備編・第2回】「論理的思考」○⇔「暗記」×とは?

準備編第1回で「暗記と論理は対極にある」と繰り返しました。もちろん単にしつこく言ったわけではなく、これをまず理解することが英語学習法のスタートであり、ゴールです。だから論理的思考は英語学習法の本質であり、大げさにいえば「英語学習法の全て」なのです。

ただ「全て」であるからといって第1回目だけで英語学習法をお伝えすることはできていません。これも第1回で言いましたが、英語学習法の本質は霧の中に隠れていて見えにくいからです。

「早くその本質を教えてよ!」ともどかしくなる気持ちは非常によく分かりますが、皮肉なことに最短ルートをたどろうとするからこそ理解しておかなければならない準備がいくつか必要です。

今回はその準備編の第2回です。第1回で紹介した論理的思考と暗記の関係を掘り下げて、分かりやすく解説します。

   

「論理的思考」とは?

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まず結論から簡単に言ってしまいます。「論理的思考」=「スタート地点からゴール地点まで妥当な・客観的にはっきりとした筋道を考え、段階的に進むこと」です。

例えば、「もう再来年が近いから今日は飲みに行けないんだ」と誰かに言われたら、あなたの頭の中には「?」しか浮かばないでしょう。つまりこの「もう再来年が近い」=「スタート地点」・「今日は飲みに行けない」=「ゴール地点」ということです。

「もう再来年が近い」(スタート地点)⇒「今日は飲みに行けない」(ゴール地点)という間の道筋が「妥当」ではなく「客観的にはっきり」していない上に「段階的」ではないので、この誰かさんの言葉は「論理的思考」に基いていないと言えます。

 

そこで同じスタート地点とゴール地点でもこう言ったらどうでしょう? 「再来年ももう近いなぁ…俺さ、実は来年結婚するんだ。再来年あたりには子どもも欲しいと思ってて。ほら、子どもが生まれたら何かとお金がかかるだろ? だから今から節約してるんだ。今日は飲みに行けないなぁ」 …これならばさっきは「?」しかなかった頭の中に、「もう再来年が近い」⇒「来年結婚する+再来年には子どもが欲しい自分にはそれまでの時間がもう少ない」⇒「節約しなければいけない」⇒「今日は飲みに行けない」という「妥当」で「客観的にはっきり」とした「段階的な」道筋が浮かんだはずです。これなら誰かさんの言葉は「論理的思考」に基いていると言えます。

 

「暗記」をしようとするワナとは?

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勘のいい方はもう分かったと思います。この場合の「暗記」=「再来年が近い」(スタート地点)⇒「今日は飲みに行けない」(ゴール地点)の2点だけを理由も分からず覚えて「再来年が近いから今日は飲みに行けないんだ」という言葉をひたすら頭に入れるということなのです。

…当然覚えられませんよね? 2点を頭に入れるだけなので一見楽そうに見えるのが暗記の最大のワナです。理由が抜けているので頭に詰め込む努力がかなり必要になります。

そしてこの言葉だけなら覚えていられるとしても、このような言葉が100個・1000個とあったら、覚える努力と同時にムダも膨大になるのはいうまでもありません。

これが「英語は暗記もの」と思って苦手にしている方がずっとしてきたムダな努力なのです。論理的思考さえあれば済むことをわざわざものすごい努力で暗記することの遠回りは、このサイトのテーマである「最短ルート」の真逆にあるということがこの例で十分伝わったと思います。

もちろん英語学習で暗記をゼロにはできません。しかし第1回からしつこく言ってる通り「徹底的に排除」という考えが何より大切です。

 

まとめ

今回のタイトルにした「『論理的思考』○⇔『暗記』×」を英語学習法の基本中の基本としなければならないことを上の例で分かっていただけたのではないでしょうか? ヒトは理由のないものは覚えられない・覚えにくいという性質を持っていることを逆に利用する方法だ、と言い換えることもできます。

「暗記は徹底的に排除」=「論理的思考を駆使」ということを、英語を学習する限りはどんなときでも絶対に忘れてはいけません。

③【役に立つ寄り道・第1回】論理的思考を身につける⇒他科目の学習まで大きく変わる?

論理的思考が英語学習の基本中の基本であることは準備編で一貫して伝えてきました。今回は英語学習のみの話から少しだけ派生して、この論理的思考の大切さ・有効性について掘り下げていこうと思います。準備編に限らず、「役に立つ寄り道」というカテゴリーでこれからも本編内容から派生した英語学習そのものではない役に立つ記事を掲載していきます。今回はその第1回です。

   

論理的思考は英語以外の科目にも役に立つ?

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「科目」という言葉では範囲が広すぎるので、「小学校~高校の科目」だとして説明していきます。

まず数学を考えると分かりやすいでしょう。「出題」(スタート地点)に対して「妥当な・客観的にはっきりとした解答」(ゴール地点)があります。解答が「10でもいいけど11でも正解」ということは起こりえません。なぜなら「わたしは1+1=5だと思う」というような「主観・感情」は「妥当・客観的」と真逆にあるもので、出題は客観的(論理的)に問題を考えられるかどうかを試すためにあるからです。だから解答が一つに決まっているのです。

肝心の英語でももちろん同じことで、例えば「第三次世界大戦が起きた」という衝撃的な内容の英文を「世界はしばらく平和だ」と真逆に読んでしまっては文を書いて伝えている意味がなくなります。言語は内容を「客観的に(論理的に)」読んでもらえなければ存在している意味がないのです。

この文が新聞に載っているところを想像してください。ある人は「大変だ。世界大戦が起きてしまった」と読む一方で、「そうか、これから世界は平和か」と真逆に読んでしまっては、新聞で伝えることの意味が全くなくなるのはもう分かると思います。白紙で発行しているのと何ら変わりはなくなります。これでは英語という科目自体も成り立たないのはいうまでもありません。

つまり「客観的(論理的)」とは「誰でも同じゴール地点にたどり着くこと」です。先ほどの数学の解答の話と、この英文の意味を正確に理解することは同じことだというのが分かると思います。

これが英語以外の学習にも論理的思考が役に立つ理由です。役に立つどころか最優先すべきことなのです。

つまり、どの科目の学習でも詰まるところ「論理的思考力を鍛えている」と言えます。数学・国語・英語…と形を変えて鍛えられているに過ぎないのです。

 

小論文に論理的思考は役に立たない?

ほとんど全ての科目は「同じゴール地点」にたどり着くことを鍛えられていますが、小論文は違います。ゴール地点どころか、出題によってはスタート地点までも違うでしょう。

しかし、実は論理的思考力を鍛えるものであることに全く変わりはありません。他の教科が「用意されたスタート地点⇒ゴール地点」の論理的思考力を鍛えられているのに対し、小論文は「(自分で用意した)スタート地点⇒自分で用意したゴール地点」の論理的思考力を鍛えられているという違いがあるだけです。

つまり、どちらにしても準備編・第2回で伝えたように、「論理的思考」=「スタート地点からゴール地点まで妥当な・客観的にはっきりとした筋道を考え段階的に進むこと」を鍛えています。

「小論文=自由に書いていい作文」と考えるのは大きな間違いです。いかに道筋建ててスタート地点⇒ゴール地点を論理的思考で書くことができるかを鍛える科目です。【準備編・第2回】で「もう再来年が近いから今日は飲みに行けないんだ」と誰かに言われたら…と挙げた例と同じです。やはりどの科目の学習も「論理的思考力を鍛えている」ことに変わりはないのです。なぜあらゆる科目が同じことを鍛えているのかについては「役に立つ寄り道」の第2回以降で伝えていきます。こちらは学校の科目を越えて、社会人の方にも役に立つ内容になります。

 
何を書けばいいかわからない人のための小論文のオキテ55 [ 鈴木鋭智 ]

④【役に立つ寄り道・第2回】 生きていくことと論理的思考の関係とは?

「数学なんか習っていつ使うの?」・「英語なんて話す場面ないから必要ない」と、学校の授業や受験科目について考えたことのある方は多いでしょう。この疑問に前回の「役に立つ寄り道第1回」で答えたことになります。「どの科目の学習でも詰まるところ『論理的思考力を鍛えている』と言えます。数学・国語・英語…と形を変えて鍛えられているに過ぎない」と伝えました。数学や英語を直接使うことがなくても論理的思考力を鍛えておく必要があるからいろいろと形を変えて科目として存在するのです。

では、なぜ論理的思考は必要だからと学校で鍛えられるのでしょう。 生きていく中でどう生かされるのでしょうか?

   

論理的思考をしないと生まれる問題とは?

論理的思考をしないで何かを判断するということは、「感情まかせ」・「理由なしで」物事を決めることになります。例えば、国政選挙があり誰に投票するかを決めるときに論理的思考を全くしないとします。選挙ポスターを見て「なんかいい感じの人だな」という感覚だけで公約も知らず投票をした結果、戦争賛成派で国民を危険にさらすような人物を当選させてしまったとしたらどうでしょう? 論理的思考をしないことは危険とさえ言えますよね。

もう少し身近な例を挙げます。16時半にある用事ができて17時までに家から役所に着かなければならないとします。「車で行くか」と向かったところ、その時間の役所までの道は都心からの下りルートであることからいつも大渋滞していて、電車ならば10分のところを40分はかかるのが当たり前で、17時10分に着いてしまい用事は果たせませんでした。この用事が後日でも済む個人的なものならば問題はないですが、その日に済ませておかなければ人生を左右する用事だったかもしれません。 n912_atamawokakimushiru_tp_v1

「今は夕方だ」⇒「都心からの下りルートは渋滞しているだろう」⇒「車で向かっては間に合わない可能性が高い」⇒「電車で向かおう」と論理的思考で車か電車の判断をしていれば問題が生まれずに済んでいたでしょう。もちろん電車を選んだからといってトラブルがあれば間に合わなかったかもしれませんが、電車を選ぶということが「最善策」であったことに変わりはありません。

 

論理的思考のオン・オフとは?

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生きているということ=判断の連続です。道を歩いているだけでもどこかのお店に入るときでも常に判断しているのです。意識がなく自然と行っていることが多いのですが、上の例で挙げたように論理的思考に基づいた判断を意識して行うことで間違いなく生き方までも変わります。もちろんそのことで必ずしもいい生き方ができるとは限りません。感情まかせに生きることで得られる幸せもあるはずです。小説を楽しみたいときに感情を排除して論理的思考で読んでも何も面白くないでしょう。

つまり生きていく中で、論理的思考はそのオン・オフが大切なのです。

少なくとも学習科目においては必ずオンにして鍛えておかなければならないことはしつこく伝えてきたことです。論理的思考を鍛えるために科目があるのですから当然ですよね。

そして、生きていくこと全体の中ではもう一つ「必ずオンにすべき」と呼べるものがあります。それは「仕事」です。

この点については次回【役に立つ寄り道・第3回】で紹介していきます。

 

⑤【役に立つ寄り道・第3回】 仕事と論理的思考の密接な関係3つとは? 日本人特有の問題点とは?

何かを判断するときに論理的思考を使う場合と使わない場合については前回伝えました。判断というのはあくまで自分の中だけのもので「問題解決」ですが、これを誰か相手に向かって発信すると「コミニュケーション」ということになります。

前回「仕事では必ず論理的思考をオンにすべき」と伝えたのは、この「問題解決」・「コミュニケーション」の2つこそがほとんどの仕事そのものだからです。では、これらをさらに詳しく見ていきましょう。

   

仕事における問題解決×論理的思考

まず仕事における「問題」とは何でしょうか? 例えば教師が「クラスの生徒30人全員が次のテストで100点満点を取る」という目標を立てたとします。しかし残念ながら20人しか100点取れなかったとした場合、そのことは解決すべき「問題」です。つまりある目標・目的を達成できないことを「問題」と呼ぶとすると、当然それを解決しなければなりません。

そのために、まずどうして問題が発生したのかを「分析」⇒解決への「課題(新たな目標)」を設定し⇒それを実行するための計画を「決定」⇒「実行」に移し⇒結果を再び「分析」する。という思考段階が必要です。もちろん感情まかせの行き当たりばったりの計画では結果を運にまかせているのと同じなので、それぞれの「段階」は「妥当」で「客観的にはっきり」したものでなければなりません。つまり仕事における問題解決とは論理的思考そのものなのです。

 

仕事におけるコミュニケーション×論理的思考

whiteboard_memo_woman ある判断を相手に伝えると、コミュニケーションを取ることになります。これはささいなやり取りから大規模なプレゼンテーションにおけるまで、仕事をする上で欠かすことができません。

例えば先ほどの教師の例で、「分析=100点を取れなかった生徒は授業を聞いていない者ばかりだった」⇒「課題」=「その生徒たちに授業を身につけさせる」⇒「決定」=「その生徒たちに補習を行い学力を上げてクラス全員が100点を取らせる」という問題解決策を論理的思考で生み出したとします。これを他の教師に認めてもらうために会議の場で議論することになると、コミュニケーションが不可欠になります。

自分が生み出した解決策を人に認めてもらうコミュニケーションの場では、論理的思考が独りよがりのものになってはいけません。それを避けるためにはいくつかコツがあります。

ダラダラ語りは厳禁

例えば、「うちの生徒がですね、目標を達成できなかったのでどうしていいのかを考えました。そもそも授業というのはきちんと聞かないと意味がないわけですよ。そのために我々は工夫を凝らしているわけで。授業を聞く真面目な生徒もたくさんいるのですが、聞かない生徒もいますよね…」とダラダラ語り出したら聞いている教師には内容が頭に入りませんよね? もちろん説得力にも欠けてしまい、せっかく論理的思考で生み出した解決策も認めてはもらえなくなります。逆に「できない生徒には補習をします」と結論だけを述べても説得力がありません。つまり「必要な要素の過不足がないように」語るのがコツです。

誰にでも分かる言葉で

「今回のターゲットを達成できなかった点へのアナライズですが、まずディシジョンから話しますと生徒のコンセンサスが…」とやたら英単語を並べて話したらどうでしょう。特に英単語である必要はなくむしろ分かりにくい使い方しかできていません。自分の頭の中で論理的思考をしている段階ではそれでかまいませんが、議論の場ではコミュニケーションが第一なので聞く側の視点で理解を得られる言葉を使う必要があります

反論を想定しておく

自分の頭の中だけで論理的思考が成立していても、聞き手の頭の中ですぐに同じ筋道が描かれるとは限りません。むしろそうでないことの方が多いでしょう。例えば「補習なんかせずに初めから全員が授業を聞くように工夫すればいいじゃないか」と反論されたらどうでしょう? この解決策も論理的です。つまり論理的思考とは「唯一の正解」にたどり着こうとするだけでなく「最善のゴール地点」を模索することにも使われるということです。(【役に立つ寄り道・第1回】で小論文について述べたことと同じです)

独善的に論理的思考をするばかりではなく、第三者の視点も想定しておくことがコツと言えるのがこの例からも分かります。

 

日本人特有の議論ベタとは?

nihonchizu-1 このようなコミュニケーションが日本人は特に下手だとされています。島国である上に多くの民族と入り混じって生活した経験が皆無に等しいために、「言わなくても雰囲気で伝わる」というような馴れ合い文化が発達したためです。これは侵略や交流を多民族と繰り返してきたために自分の主張は相手に分かるように伝えなければいけなかったヨーロッパなどと真逆になります。もちろん日本には馴れ合い文化から「奥ゆかしさ」といった美徳も生まれたので、一概にどちらが優れているということではありません。

ただ、仕事におけるコミュニケーションは特に議論の場では日本文化は美徳ではなく邪魔なものになることに気をつけるべきでしょう。

 

⑥【役に立つ寄り道・第4回】 学歴は何の役に立つ? 学歴社会はなくならない?

「学歴社会」という言葉自体を聞いたことがないという方は皆無でしょう。読んでいただいている方が大学受験生であればこれから新たな学歴を手に入れることになりますし、社会人の方であればすでに手に入れたものになります。今回は「学歴社会」とはそもそも何なのかというところから、現在の日本において学歴はどう位置付けられているのか・何の役に立つのかを英語学習・論理的思考の派生として考えてみたいと思います。

   

学歴社会とは? どうして生まれた?

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そもそもは江戸・明治の時代にさかのぼります。江戸時代は鎖国の影響で技術力・知識などの点で欧米に遅れをとっていました。この時代に遅れを取るということは植民地支配されかねないということで、明治時代に入り、「教育こそが国を救う」という発想が強くなったのです。そこで国民の学問レベルを引き上げるために大学を頂点とした各学校が続々と設立されることになりました。

しかし、国家予算や国民の所得が低かった当時は今のように国民の多くに高度な教育を行うことができませんでした。そこで、「優秀な者を選抜して高等教育を行う」⇒「指導者として国民全体の技術力・知識を向上させる」という方針になったのです。ここで「高等教育を受けられる者=エリート」とそれ以外の者に分かれたことにより学歴社会が生まれました。つまり、単純に言えば予算の都合で生まれたものです。

 

今はどうなっている? 学歴社会はなくなった?

大学に目を向けると、現在は国公立・私立合わせて800校以上にのぼり、少子化の影響もあって定員割れを起こしている大学も多く、学力が低くても「どこかには入学できる」という状態です。つまり大学が少なかった明治時代のように「優秀な者を選抜」しなくても同じ学問が学べるようになっているのです。

このように多くの国民が大学まで進学する現在では学歴社会はなくなったはずです。しかし意味を変えて学歴社会は存在し続けています。

本来は「学問」を身に付けた「履歴」という意味が「学歴」なので、中学校卒業・高校生卒業・専門学校卒業・短大卒業・大学卒業…という区分の中で、例えばどの大学を卒業してもみんなが同じ「大学卒業」という学歴を手に入れたことになるのですが、現在の「学歴」という言葉には単に「大学卒業」ではなく「どの大学を卒業したのか」という意味も含むようになっています

つまり、当初は「どの段階の学問を受けたのか」という区分によって生まれた「学歴社会」という言葉が、「どの学校で学問を受けたのか」という意味でも使われているということです。

 

偏差値主義に形を変えた学歴社会と就職の関係とは?

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つまり「難関な学校を卒業した」=「高学歴」という意味が現在の「学歴社会」という言葉の根本の意味になっており、これは就職と大きく関係しています。

「(現在の意味での)高学歴を手に入れれば就職が有利になる」ということが学歴社会という言葉が残った最も大きな理由でしょう。ということは採用する組織の側が作り出したものであるとまずは言えます。「偏差値の高い学校を卒業した者をなるべく採用したい」という発想が生み出したことになります。

人物を見る前に学校名で絞ってしまう「学歴フィルター」という言葉がまさに現代の意味での学歴社会の象徴です。

なぜこのようなことが起きているかというと「役に立つ寄り道・第3回」で述べたように、論理的思考で問題解決・コミュニケーションをすることが仕事の核であり、その論理的思考を鍛えた学力が高い者は偏差値が高い学校に多いからです。

もちろん「偏差値が低い学校にだって論理的思考が高い者はいる」という反論がありますが、わざわざ確率の低い側から積極的に採用しようとするというのも組織としておかしなことなのです。

偏差値が高い学校から採用してみたものの論理的思考を上手くコミュニケーションに活かせない人物だったり、論理的思考力そのものが低かったりということはもちろんありえますが、それはあくまで結果であり、採用しようとする段階でわざわざ確率の低い方を積極的に選択する理由は少ないということなのです。

このことから良し悪しは別として現在の学歴社会はまだ続いて行くだろうと思われます。